代打本塁打27本という世界記録を持つ、
「世界の代打男」こと元阪急ブレーブスの
高井保弘さんがなくなりました。
腎不全により74歳の生涯に幕を閉じました。
高井保弘さんとは一体どんな人物だったのか?
リサーチしてみました。
高井保弘さん プロフィール
高井保弘 PROFILE
生年月日:1945年2月1日
出身:愛媛県今治市
身長:173cm
投打:右投右打
高井保弘さんの経歴は?
出身の高校は、
愛媛県立今治西高等学校。
1年生の頃から4番でレギュラーに定着し、
甲子園こそ出場できなかったものの
四国の大砲は有名でした。
大学には進学せず社会人野球・名古屋日産モーター(現・愛知日産自動車)で活躍したのちの、
1964年に阪急ブレーブスに入団。
手が小さかったこともあり球を素早く握る動作ができず、
お世辞にも守備がうまいとまではいえなかったようです。
しかし自慢のバッティングでは
サヨナラの場面で代打に向かう際に
チームメイトらに対して「お前ら、帰る準備しとけや」と豪語し言葉通り本塁打を打ったという伝説があります
「高井はえげつない球も打つ」と恐れられ、そのバッティングのすごさに
当時の野村克也さん(捕手)も頭を抱えていたようです。
実はDH制が導入されたのが1975年のことでしたので、
入団して10年以上先のことでした。
もし、もっと早くから導入されていたら…
とんでも記録が生まれていたのかもしれません。
現役時代の受賞歴は、
ベストナインを1回 、 オールスターゲームMVPを1回 、パ・リーグプレーオフ首位打者賞を1回。
通算代打本塁打は27本という世界記録は今でも越えられていないのです。
高井保弘さんの現在は?
高井保弘さんは、1982年に阪急ブレーブスを退団し現役を引退します。
引退後は、ラジオ関西で野球解説の仕事を長年続けます。
1983年には「代打男」という著書を出版しています。
またスポーツ整体研究所を開いたり、居酒屋経営も行いますが、
1995年の阪神淡路大震災でお店を失ってしまいます。
その後、52歳でサラリーマンとして勤務し最近までは商業ビルの警備員として働いていたようです。
そして2019年12月13日腎不全のため旅立たれました。
葬儀・告別式は12月15日で喪主は妻の高井安枝(やすえ)さんとなっております。
偉大な記録を残された高井保弘さん。
心からご冥福をお祈りいたします。