田口光久|訃報。現在と若い頃画像を比較。サッカー経歴を紹介。

元サッカー日本代表の田口光久さんが亡くなられたことが報じられています。

64歳という若さで呼吸不全が原因で旅立たれた田口光久さん。

生前は、人柄の良さで誰からも親しまれ愛された方でした。

田口光久さんについてまとめてみました。

 

 

田口光久さん プロフィール

田口光久 PROFILE

名前:田口光久(たぐちみつひさ)
生年月日:1955年2月14日
出身:秋田県河辺郡河辺町
身長:175cm
血液型:O型

田口光久さんのサッカー経歴

秋田市立秋田商業高等学校卒業後の1973年に現在の浦和レッドダイヤモンズの

前身である三菱重工サッカー部に入部。

当時は正ゴールキーパー(以下GK)の横山謙三さんがいたため、補欠選手でした。

しかし1973年日本ユース代表としては正GKを任され、

AFCユース選手権準優勝にも貢献されています。

1975年に三菱重工サッカー部の正GKの座を奪取すると、

同年には日本代表の正GKに選出され1975年9月8日の韓国戦で途中出場。

 

 

20歳と206日での国際Aマッチ出場は当時の最年少デビュー記録でした。

それから1984年まで日本代表選手として活躍し、インテル・ミラノ(イタリア)やクラブ・ブルージュ(ベルギー)と対戦したことも。

国際Aマッチ59試合(GK歴代4位)に出場されB・Cマッチを含めると通算161試合に出場されました。

また1982年〜1984までの間は主将として日本代表を引っ張った頼り甲斐のある選手でした。

当時のサッカー日本代表主将の仕事は数多く、

遠征先での食事会の手配から帰国便に乗る順番の調整など、チームマネージャー兼務のような仕事もされていたんだそうです。

 

田口光久さん現役引退後

田口光久さんの現役引退後は、指導者として活躍されていました。

秋田経法大付属高→青森山田高→ルネス学園→遊学館高→国際学院高

サッカー部の監督としてユース世代の育成に力を入れていました。

またTVでも大活躍で、

とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では大人気コーナーの

PK対決で木梨憲武さんのパートナーとして出演されていました。

 

大のラーメン好きで知られ『メーランおやじ』の愛称で親しまれていました。

田口光久さんは2011年までブログを書いていたのですが、

それ以降ブログの更新はありませんでした。→アメブロ

ちなみに東北でオススメのお店は、

盛岡市本宮にある『とんかつ熊』だとのことです。

オススメのスタミナラーメン(スタミナメーラン)は、

とんかつが乗っていてボリューム満点で味も最高とのこと。

 

 

 

田口光久さんの若い頃の画像が投稿

田口光久さんの訃報が発表され、

TwitterやInstagramでは訃報を悲しむコメントが数多くコメントされています。

サッカーを愛し、東北を愛し、教え子の選手たちから愛された田口光久さん

ご冥福をお祈りいたします。

田口光久さんの嫁(奥様)は?

田口光久さんは結婚されていますが、

奥様については多くを語られていません。

喪主は長男である直樹さんであることが判明しています。

 

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