昭和のアイドル松本典子(まつもとのりこ)さんが話題になっています!
旦那である元プロ野球選手で笘篠賢治(とましのけんじ)さんとのラジオ共演がきっかけです。
松本典子さんとは一体どんな人物なのでしょうか?
松本典子 プロフィール
元アイドル・松本典子、26年ぶりに夫・笘篠氏と共演 15日に文化放送で (デイリースポーツ) https://t.co/tsarysfCFh #linenews
— 芸スポ魂 (@pegasus1008seiy) December 12, 2019
松本典子 PROFILE
松本典子のアイドルデビューまで
松田聖子さんが大好きで芸能界に憧れていた松本典子さん。
芸名の松本典子さん松と子は松田聖子さんが由来です。
群馬県前橋市の共愛学園高等学校に在学中だった16歳(1984年)の時に、
18325人の応募者で競った第3回『ミス・セブンティーンコンテスト』にてグランプリを獲得しました。
(※網浜直子さんとダブル受賞)
全くの素人というわけではなく、コンテスト前からサンミュージックのレッスンを受けていたようです。
ちなみに、第3回大会は国生さゆり、渡辺美里、工藤静香、渡辺満里奈、清原亜希などそうそうたる顔ぶれの出場者が集まりました。
まさにアイドル戦国時代の真っ只中で見事にグランプリを獲得した松本典子さんは、
東京都葛西区にある修徳高等学校へ編入し東京を拠点に本格的に芸能活動を始動させました。
1985年に1stシングル「春色のエアメール」でアイドルデビュー。
松本典子のデビュー後…待ち受けていたものとは?
デビューした1985年には数々の賞を受賞していました。
以下引用いたします。
7月5日『メガロポリス音楽祭最優秀新人ダイアモンド賞』受賞
8月29日『NTV音楽祭新人激励賞』受賞
9月28日『ABC歌謡新人グランプリ審査員激励賞』受賞
10月7日『銀座音楽祭グランプリ』受賞
10月19日『新宿音楽祭特別審査員激励賞』受賞
11月8日『横浜音楽祭優秀新人賞』受賞
11月12日『ANB全日本歌謡音楽祭優秀新人賞』受賞
11月20日『TBSレコード大賞新人賞』受賞
11月21日『歌謡大賞新人賞』受賞
12月3日『FNS歌謡祭新人賞』受賞
翌年はどんな活躍が待っているのか!?
本人も期待したのではないでしょうか。
しかし、その後は徐々にCDの売れ行きも悪くなり、
さらには追っかけのファンらにはなったある一言がファン離れを引き起こしたという情報もありました。
1991年にリリースした13thシングル『Kissが届かない』では自身が作詞した渾身のものとなったが、
オリコン圏外となっていました。
引退も考えたという松本典子さんですが、ある番組出演がきっかけで再び脚光をあびることとなりました。
それが、志村けんさんの冠番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』でした。
石野陽子(いしのようこ)さんとともに2大看板娘が話題となりました。
志村さんと繰り広げるコントでは、
顔面パイや、マジックで眉毛をつなげるなど、
これまでには想像もできなかったであろう芸で人気となったのです。
松本典子さんの家庭は、ドリフ禁止という環境で育ったのため、
両親は最初は「え!?」となったそうです。
しかし最終的には喜んで『志村けんのだいじょうぶだぁ』を見てくれたとのことでした。
子育てが落ち着いた2011年ごろから再び芸能活動に復帰し、
歌謡ショーなどの番組で歌を披露するなどされていました。
松本典子は結婚した旦那は笘篠賢治
1992年12月12日に当時ヤクルトスワローズの内野手であった笘篠賢治さんと結婚。
これを機に芸能活動を休止します。
1994年長男誕生
1997年次男誕生
2004年三男誕生現在
現在は3人の息子の母親です。
長男の笘篠諒太さんは高校時代に東亜学園で外野手として活躍されていました。
松本典子さんが観戦に訪れた際にはデイリーから取材を受け息子の笘篠諒太さんの今後について
以下のように語っていました、
「芸能界は全然、興味がないみたいです。甲子園に行きたいという夢があるので、夢をかなえてほしいですね」
どうやら現在は一般会社員として表層曲に勤務しているとの情報です。