高木守道|訃報。現在の画像がインスタで公開。成績でわかる凄さ!

ミスタードラゴンズこと高木守道さんが、

心不全によりこの世を去りました。

78歳でした。

高木守道さんは2006年に野球殿堂入りした重鎮。

高木守道さんとは一体どんな人物なのか!?

まとめてみました。

 

 

高木守道さん プロフィール

高木守道 PROFILE

名前:高木守道(たかぎもりみち)
生年月日:1941年7月17日
出身:愛知県名古屋市(育ちは岐阜県岐阜市)
身長:174cm
体重:72g(現役時代)

【出身高校】

岐阜商業高校(偏差値53−57)

高校に入学し野球部に入部した当時は遊撃手でした。

当時、立教大学4年生だった長嶋茂雄さんは高木守道さんの才能を見出し、

レギュラーとして起用するよう野球部監督にアドバイス。

さらにポジションが2塁手の方が向いているという助言までされています。

高木守道は高校時代レギュラーに定着し、夏の甲子園に出場し準々決勝まで進みました。

高校卒業後は大学進学を考えていたようですが、中日ドラゴンズに入団。

 

 

【プロ球団に入団】

中日ドラゴンズ

1960年〜1980年まで20年もの間、中日ドラゴンズに在籍していました。

1977年にはプロ野球タイとなる4打数連続本塁打を記録する

ベストナイン7回、盗塁王3回、ダイヤモンドグラブ賞3回

通算2282試合に出場し、2274安打・369盗塁・236本塁打を記録。

走攻守で大活躍し中日ドラゴンズ一筋のまま現役を引退。

その後は、後世のために指導する側へ活躍の場を移します。

 

 

【中日ドラゴンズ監督に就任】

コーチや二軍監督を経て、

1991年に星野仙一監督が辞任したことを機に、中日ドラゴンズの一軍監督に任命されます。

記憶に残った試合といえば1994年の同率首位の読売巨人軍とのリーグ優勝をかけた試合。

『10・8決戦』と呼ばれプロ野球界に残る名試合となりました。

結局この試合で高木守道さん率いる中日ドラゴンズが負けてしまったのですが、

当時の読売巨人軍の監督は長嶋茂雄さん。

ちなみに2013年に中日ドラゴンズの監督を退任する際には、10月8日に退任会見を行っています。

【中日ドラゴンズ監督退任後】

現在は野球界解説者として、

侍プロ野球 、J SPORTS STADIUM、サンデードラゴンズ、CBCドラゴンズナイターなどに出演されていました。

 

なくなる5日前の2020年1月12日に名古屋市のCBCラジオ「板東サンデー」に出演されていました。

戦友であり親友の板東英二さんと現役時代の思い出話などをされていました。

板東英二さんから「お変わりございませんか?」尋ねられ「お変わりございません」と回答していました。

 

ちなみに高木守道さんは西川流のホープの奥様とは板東英二さんの紹介がきっかけで結婚しています。

 

 

 

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