名古屋経済大高蔵高校野球部で野球部員の生徒に殴る蹴るの暴行を行った動画が公開されています。

その暴行を行ったとされるのがなんと野球部の監督というから驚きですね。

暴行の理由については、野球部のルールとして登校時に「携帯を学校に預ける」というものがあるそうですが、それを破った生徒が何人もいた為、激昂し暴行したというのです。

監督の立場でありながら多くの生徒の前で暴行を振るうというのは良くないことだと分からなかったのでしょうか・・・。

監督は元プロ野球選手でドラフト1位指名されていたというからさらに驚きです。

酒井弘樹監督とは一体どんな人物だったのでしょうか??

 

 

酒井弘樹 プロフィール

生年月日:1971年9月22日

年齢:47歳

出身:千葉県柏市

身長:176cm

 

幼い頃から野球を始め、右投げ右打ちでポジションはピッチャー(投手)でした。

関東第一高を経て国学院大学へ進学

2部リーグだった国学院大学を1部リーグに昇格させた立役者としてプロ野球界から注目を浴びます。

そして1994年に大阪近鉄バファローズからドラフト1位指名を受け念願だったプロ野球選手となるのです。

背番号は18です。

入団後の1995年から一軍に定着するようになり主に先発・中継ぎ要員として試合出場。

プロ一軍初勝利は、9月14日のオリックス戦でした。

1996年には8勝15敗でリーグ最多敗戦投手となってしまいます。

敗戦の数だけ見ると印象が悪いですが、実は防御率は3.30。

リーグで上位9位に食い込んでいました。

1997年にはケガに悩まされ、10試合のみにしか出場できませんでした。

しかし1998年に復帰して中継ぎメインでありながら、60試合に登板し6勝1敗防御率1.97という成績を残しますが・・・。

再びケガ!!

その後に阪神タイガースにトレード移籍となりますが、1軍の試合に出場することすらできず自由契約となり台湾へ渡ります。

ここでも結果を残せずに現役引退となりました。

引退後はサラリーマンとして生活するのですが、

荒れていたそうです。

 

 

酒井弘樹は引退後 荒れた生活をしていた

2008年に放送された

『壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち』という番組で奥様が出演した際に、

荒れた生活を告白していました。

タイトルは『第2の人生でどん底を味わいながら夢だった教師の道を志した夫の再生を支えた妻の物語』でした。

 

教師の道へ

前述にもある通り教師になるため奥様がサポートもあり、

国学院大学へ再入学し、一念発起して高校教員免許を取得し高校教師となります。教科は『国語』です。

なぜ教員資格を取得したのか?については、

「学生野球資格回復制度」というものは現在は存在しますが当時はなかったからです。

高校で野球を指導するには教員資格保持が絶対条件でした。

 

学生野球資格回復制度とは?

教職免許を持たない者でも一定の研修を受けることで学生野球資格回復を認めるというもの

 

2007年4月〜名古屋経済大学高蔵高等学校に採用されます。

驚くことに、もともと女子校だったということもあり野球部がなかったのです。

しかし、これまでの経験を生かしたいと2009年に野球部を自ら立ち上げています。

立ち上げ当時の部員数は9名。

デビュー戦から5戦連続でコールド負けだったのです・・・。

しかし近年は部員70人越えとなる年もあるほど。

プロの指導を受けられると全国各地から集まっているのではないでしょうか?

2015年には名古屋市で初めてシードを取ったという情報もありますのでこれからが期待の高校野球部だったはず。

なんとも虚しい終わり方でした。