ベネチア国際映画祭で日本人監督が『スパイの妻』で銀獅子賞を受賞されました。
2003年の座頭市で北野武監督が受賞して以来の快挙です!!
日本人では17年ぶりとなり、受賞した監督は黒沢清氏です。
黒沢清監督のプロフィール、学歴、経歴などまとめてみました。
黒沢清 プロフィール
黒沢清 PROFILE
生年月日:1955年7月19日
年齢:65歳
出身:兵庫県神戸市
職業:映画監督、映画評論家、脚本家、小説家
代表作品:『CURE』 『カリスマ』 『回路』 『トウキョウソナタ』 『岸辺の旅』
小学校〜中学校時代
プラモデルと昆虫が大好きな小学生時代でしたが、
特にここが突出してすごいんだ!という部分はなかった極普通の中学生だったそうです。
昆虫好きだったため、カマキリ先生こと香川照之さんとはよく馬が合うそうです。
中学は私立の進学校に通っていますが、学年で勉強ができる方ではなかったと語られています。
むしろ全く勉強に興味を持てなかったともおっしゃっています。
ちなみに部活動はバレーボール部で、レギュラーメンバーとして活躍されています。
残念ながら中学校がどこだったのかは特定できませんでしたが、六甲学院中学校(当時は六甲中学校)の可能性が高そうです。
六甲学院は男子校で完全中高一貫校
しかも高等学校に関しては生徒を募集しないスタイルですので、
六甲学院中学校の可能性あります。
なぜなら黒沢清監督の出身高校が六甲学院高等学校だからです。
※六甲学院は欠員補充を除いて原則として高校入試は行われないが昭和50年代に数年間入試を実施したことがあった
偏差値は74の超難関であることは地元の方であれば誰もがわかるはずです。
ちなみにですが、お笑い芸人の山田ルイ53世もこちらの中学出身でした!!(中退しているので高校へは進学せず)
高校時代
前述の通り黒沢清監督の出身高校は六甲学院高等学校で間違いありません。
こちらの高校は灘区にあるカトリック系の名門高校で、
『わが心の銀河鉄道~宮沢賢治物語』で知られる大森一樹監督、俳優の大谷亮平さんは同高校出身者です。
黒沢清監督は高校でもバレーボール部に所属しておりましたが高校に入ってからも勉強は好きにはなれなかったそうです。
しかし、このから映画鑑賞にはまってたくさんの作品を観ていたのです。
当時は8mmカメラを使って自主制作の映画を撮ることが流行っていたこともあり、
大学に進学したら自分も映画を撮ろうと思ったことが映画監督を志すきっかけになったのでした。
大学時代
出身大学は立教大学です。
一般教養の授業に「映画」があったのですが、
授業を担当していたのがフランス文学者で映画評論家の蓮實重彦氏でした。
この出会いが黒沢清監督の人生に大きく影響したそうです。
大学では『パロディアス・ユニティ』という自主映画サークルクラブを旗揚げし、映画制作を始めます。
実は、このクラブで知り合った1学年上の女性が現在の奥様なのです!!
この頃はまだ映画監督になるなんて思っていなかったようで、
大学4年生の時に長谷川和彦監督に出会い、『太陽を盗んだ男』で助監督として作品に携わったことで映画監督になることを決意します。
その後、1983年に『神田川淫乱戦争』で商業映画デビューし現在に至るのです。
最後に
黒澤明監督と関係があるのかググる方が多いようですが、血縁関係はありません。
苗字の「黒沢」と「黒澤」がまず違いますので!!