女優の宮城まり子さんの訃報が報じられています。
年齢は93歳でした。
心より御冥福をお祈りいたします。
宮城まり子さん プロフィール
【訃報】俳優・宮城まり子さんが死去 93歳、ねむの木学園設立https://t.co/yCx4YJ9WHP
肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を設立し、長年にわたり園長を務めた俳優の宮城まり子(本名本目真理子)さんが21日、死去しました。93歳でした。 pic.twitter.com/3MFGAC96o7
— 朝日新聞東京編集局コブク郎 (@asahi_tokyo) March 22, 2020
宮城まり子 PROFILE
本名:本目真理子(ほんめまりこ)
生年月日:1927年3月21日
職業:ねむの木学園理事長・女優・歌手・映画監督
小学生卒業後に吉本興業に所属し、宮城千鶴子の芸名で活動。
歌謡曲や大阪花月劇場の舞台に立ち芸能活動を始めます。
1950年にはなやましブギで歌手デビューし、1953年の『毒消しゃいらんかね』が大ヒットし
1954年の第5回紅白歌合戦に出場を果たしました。
その後も数々のヒット曲を世に送り出し1954年〜1962年までの間に8回の出場歴があ流のです。
※ねむの木学園の公式HPには…1955年に『ガード下の靴みがき』で歌手としてデビューと記載あり
女優業にも進出しテレビドラマ「まりっぺ先生」「てんてん娘」では主演を演じていました。
芸能活動においては、1958年『12月のあいつ』では芸術祭賞受賞、
1959年『まり子自叙伝』ではテアトロン賞受賞をされていました。
宮城まり子お亡くなりになったのか(合掌)
享年93歳は十分長寿ですが
戦前子役の頃から活躍されてるので
もっと年上かと思ってました! pic.twitter.com/g6Guj2N2BW— 箱 ミネコ(新刊単行本「死ねるんDEATH」発売中!) (@hakomine) March 22, 2020
ねむの木学園を設立
女優として脳性まひの子の役を演じたことがきっかけとなり障害児教育に強い関心があり、
日本で最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を1968年に静岡県浜岡町に設立させたのが宮城まり子さんです。
1979年-ねむの木養護学校(小・中学部)設立
1982年-ねむの木養護学校(高等部)設立
1997年には静岡県掛川市に「ねむの木学園」を移し、
生涯学習を基にした健康な人、ハンディを持った人、老人、若者、ともに暮らせる「ねむの木村」の運営を始めました
数々の賞を受賞され、
2012年に瑞宝小綬章を受章。※日本の勲章の一つで、瑞宝章6つのなかで4番目に位置。
上皇ご夫妻とも交流があります。
2018年11月には上皇ご夫妻はねむの木学園を訪れていました。
事実上の芸能活動引退となりましたが、
その後は、映画監督として数々の映画を世に送り出しています。
『ねむの木の詩』『ねむの木の詩がきこえる』『虹をかける子どもたち』『A Big Hand for All Children』『Hello Kids!』を製作・監督。
『ねむの木の詩』では第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞しされています。
さらに『まんが世界昔ばなし』で声優として心に響く話し手として人気となっていました。
宮城まり子さんさんに夫はいる?
結婚はされていませんが『驟雨』で第31回芥川賞を受賞された作家の吉行淳之介さん(1994年没)
とは40年間生活をともにされており、事実上の伴侶だったのです。(吉行淳之介さんには妻がいた)