覆面プロレスラーのワイルド・セブンさんが天国へ旅立たれました。
ワイルド・セブンさんは大仁田厚さんの愛弟子です。
ワイルド・セブンが亡くなった
子どもの頃から知ってる
信頼できる男が逝ってしまった
言葉にならない
心からご冥福をお祈りします
大仁田厚 pic.twitter.com/SCXGlxkokN— 大仁田厚 (@onitafire123) 2019年5月6日
所属事務所「HERO」公式発表
訃報かねてより闘病中でありました弊社所属ワイルド・セブン選手が、昨日五日未明入院先で亡くなりました。昨年12月に正式に弊社所属となり、今年2月には団体GMに就任。再発後も、最後まで「生きる」事をメッセージとして伝え続けました。葬儀は近親者のみにて、後日行われる予定です引用元:バリアフリープロレス「HERO」
ワイルド・セブンさんの素顔は?
ワイルド・セブンさんは覆面プロレスラーですので、もちろん顔出しNGです。
Twitterでは覆面を外した画像が公開されていました。
しかし、絵文字を顔に乗せているため素顔を見ることはできません。
少しずつ、でも確実に春の訪れが近づいているなぁ。
薄着の季節に向けて日焼けマシンに入りたいけど、医師から「日焼けをすると抗がん剤の副作用でシミになったり斑(まだら)になる」と言われて、ジムの日焼け会員を泣く泣く退会。
こんな所にまで副作用か…。 pic.twitter.com/ZO6tWlmYsl
— ワイルド・セブン (@latinoheat3104) 2019年3月19日
2017年10月に内臓にガンがあることを医師から告げられ、
2017年10月31日に後楽園ホールで行われた大仁田厚引退興行後に治療に専念されます。
11月16日に東京都内の病院で10時間に及ぶ手術を受け、十二指腸と胆のうを摘出されています。
手術は成功し2018年7月までリハビリを続け、再びリングへ立ちます。
今日は大仁田さんのお付きで渋谷・東急百貨店本店で開催中のジャイアント馬場展へ。
入り口で待ち受ける馬場さんにご挨拶。
思い返すと、俺が中学生の頃に初めて生で見たプロレスラーが後楽園ホールの売店にいた馬場さんだった。
元子さんにはよく説教されたし、懐かしい日々が甦る。 pic.twitter.com/u5QiK4JCiX
— ワイルド・セブン (@latinoheat3104) 2019年1月3日
ワイルドセブンとは?
実は覆面プロレスラーになったのは。50歳の時。
2014年のことでした。
実は一度、プロレスラーを辞めていた時期があります。
では最初に1982年にメキシコ・ティファナでデビューするまでのワイルドセブンについてです。
プロレスラーになろうとしたきっかけはもちろん「大仁田厚」さん
憧れの存在でした。中学生時代に野球で大怪我をしてしまい気晴らしに、
プロレスを観戦しに行った際に大仁田厚さんと出会います。
しかし、身長制限などもありその道を諦めることも考えたが結局大仁田厚さんのアドバイスで
プロレスラーになるために18歳でメキシコに渡り単身修行を行います。
1982年にプロレスラーデビュー当時は素顔でした。
その後は憧れだった大仁田厚さんが旗揚げした超戦闘プロレスFMWの一員に。
しかし、その後は一身上の都合で退団したのです。
1991年のことでした。
大仁田厚さんととはケンカ別れしたと過去の記事にありました。
長い間プロレス界から離れていたが、
2014年50歳の時に大仁田厚さんと再会し、再びリングへ。
その後は前述させていただいた通りです・・・。
大仁田さんから突然の電話。
用件は他愛ないことだったが、会話の中で何度も「俺はおまえのことが本当に心配なんだよ!」と。
すごく嬉しいし励みになるけど…、幾つになっても師匠に心配ばかり掛けてる駄目な弟子で申し訳ないです。 pic.twitter.com/ozJoZtoKt8
— ワイルド・セブン (@latinoheat3104) 2018年11月25日
初代・大仁田厚信者はワイルドセブンさんであり、最後まで大仁田厚さんを愛した男でした。
年齢は54〜55歳ではないのかと思われます。
プロレス発展に貢献されたワイルドセブンさん。
心よりご冥福をお祈りいたします。