吉田知那美が英語ペラペラな理由?戦力外通告受けるも平昌で活躍!

平昌オリンピックでカーリング女子が快進撃を続けていますね!

世界ランク1位の韓国を撃破するなどメダルが手に届く勢いです。

それにしてもカーリング女子は美人揃い。

競技はもちろんですが、自然とお顔に目がいってしまいますね。

さて!今回は吉田知那美選手についてリサーチしてみました。

実は吉田知那美はソチオリンピックにも出場し、日本女子カーリング史上最高タイの予選リーグ5位に貢献しています。

しかし!!

吉田知那美選手を検索すると「戦力外通告」されていたという情報が・・・。

本当なのか?嘘なのか?

もし本当だとすると天国から地獄!!

 

【Ads By Google】

 

吉田知那美 プロフィール

名前:吉田知那美(よしだちなみ)
愛称:ちぃ・ちな
生年月日:1991年7月26日生まれ
出身 :北海道常呂郡(現:北見市)常呂町(ところちょう)

身長 :157cm
体重 :53kg
趣味 :一人旅
所属 :ネッツトヨタ北見株式会社
チーム :ロコ・ソラーレ

 

カーリングの盛んな町で生まれ育つ

北海道の常呂町といえばカーリングが盛んな町です。

生まれ育った環境が自然とカーリングの道へと進んでいくのです。

7歳(小学2年生)の時にカーリングを始め、9歳(小学4年生)で公式戦に出場するほどでした。

 

中学生でチーム結成

北見市立常呂中学校出身の吉田知那美選手は2歳年下の妹で平昌オリンピック代表の吉田夕梨花選手

と同級生で北海道銀行所属のソチオリンピック代表の小野寺佳歩と常呂中学校ROBINS』を結成したのです。

実はこの中学生チームはトリノオリンピックで日本代表だった『チーム青森』を予選リーグで撃破するというどんでん返しをみせたのです。

その頃から既に知那美&夕梨花姉妹は実力を発揮していたのですね!

 

『チーム青森』といえば現在、吉田知那美選手と同じチームの本橋麻里選手がいたチームですね。

高校へ進学しチーム名を「JJ常呂」に

北海道網走南ヶ丘高校に進学した吉田知那美選手ですが、

この頃からチームに亀裂が・・・?

同じ中学校だったメンバーはそれぞれの道に進むため高校が別になってしまうのです。

そんなことからなかなか練習日時を合わせることができずチームワーク乱れ思うような成績を残すことができなかったのです。

とwikiにはありますが、実際には日本選手権で4位に入りっています。

 

 

メンバーは以下の通りです

スキップ:吉田知那美
サード:吉田夕梨花
セカンド:小野寺佳歩
リード:鈴木夕湖

 

しかし、この時代は高校や大学進学後にカーリングを続ける環境がなかったことから、別の道に進もうと語学留学をすることに。

 

【Ads By Google】

 

英語がペラペラな理由はカナダへ留学したから

 

高校を卒業すると吉田知那美選手は語学留学のためカナダバンクーバーへ単身留学します。

ホームステイ先の家主がなんと、カーリングのコーチだったのです。

これは偶然であり奇跡の出会いだったというのです。

とはいえ母親の思惑もあったでしょう。

諦めかけた娘の夢を叶えるためカーリングコーチの元へ送り込んだのでしょうね。笑

吉田夕梨花選手の夢はオリンピックで表彰台に立つこと!

そして、再び諦めかけた夢に向かってカーリングの道へ進むことに!

このコーチの名前はミキ・フジ・ロイさん。

トリノ・バンクーバー・ソチで3度もオリンピック日本代表のコーチや監督をした重鎮。

のちに北海道銀行フォルティウスの監督となる方です。

姉妹は仲間からライバルへ

吉田知那美選手はミキ・フジ・ロイさんとの縁もあって北海道銀行フォルティウスのチームに所属します。

実はその頃、本橋麻里選手が『チーム青森』を抜け『ロコ・ソラーレ』を立ち上げます。

高校生だった妹の夕梨花選手はチーム最年少で『ロコ・ソラーレ』へ入団。

姉妹はライバルとなったのです。

そして運命の2013年代表決定トライアル。ソチオリンピックの切符がかかっていました。

結果は北海道銀行フォルティウスがソチオリンピックへの切符を手にします。

そして、予選リーグ5位となり日本女子カーリング史上最高タイの記録を樹立しました。

妹の夕梨花選手についてはこちら↓

 

戦力外通告からの復活劇

ソチオリンピックで活躍した吉田知那美選手ですが、

その後なんと戦力外通告を受けるのです・・・。

「前のチームではカーリング界の大ベテランの先輩たちのもとで学ばせてもらって、ついていくのが正直必死な部分がありました。それがソチオリンピックで、私の技術であったりメンタル面だったりの不足が結果に現れてしまい、チームを離れなさいという宣告になったと思っています。離れることになったのは、私自身のカーリングに対する取り組み方の甘えだったりが招いたこと。」

と自身で語っています。

北海道銀行フォルティウスを離れた吉田知那美選手は失意に沈んでいました。

 

【Ads By Google】

 

 

そんな時に拾ってくれたチームが妹の夕梨花選手が所属していた『ロコ・ソラーレ』。

北海道銀行からネッツトヨタ北見(株)に所属先も変わり心機一転。

「自分の足で、自分の頭で考えてカーリングをしようという風に変わりました」

と語っています。

そして2018年!!

平昌オリンピックで氷上に立っている吉田知那美選手。

まさにどんでん返し!

戦力外通告を受けた悔しさから這い上がってきました。

平昌オリンピックでは素晴らしい成績を残すことでしょう!

 

おすすめの記事