ハリルホジッチ監督が電撃解任され、
新監督が西野朗氏(にしのあきら)となりました。
これは一大ニュースですね!!
海外クラブで活躍する選手を起用しなかったことがダメだったのでしょうか??
解任理由はハッキリしませんが新監督の西野朗氏とは一体どんな人物なのでしょうか。
W杯もあとわずか!!気になります!!
西野朗 プロフィール
生年月日:1955年4月7日
年齢:63歳
出身:埼玉県浦和市
身長:182cm
体重:75kg
選手時代とは?成績は?
選手時代はまだJリーグ誕生していない時代でした。
経歴をざっくりと説明すると、
埼玉県立浦和西高等学校を経て早稲田大学教育学部でア式蹴球部に所属していました。
MFとして活躍していました。利き足は右です。
ア式蹴球部とは?
1924(大正13)年の創部以来、早稲田大学ア式蹴球部は常にサッカー界をリードし、数々の日本代表選手を輩出してきました。関東大学リーグ1部優勝26回、全日本大学選手権優勝12回、総理大臣杯優勝2回、天皇杯優勝4回は、他大学の追随を許さない成績です。
引用元:http://www.waseda-afc.jp/club
在学中に日本代表に選出されサッカーの実力を証明して見せた西野朗氏は1978年に日立製作所へ加入。
イケメンということもありかなり注目を浴びました。
しかし成果を出せず本来の実力を出すことはできませんでした。
復活を果たしたのは1985年。
日本サッカーリーグタイ記録である8試合連続得点をあげベストイレブンに選出されました。
しかし1978年を最後に日本代表に選出されることはなく1990年に現役を引退しました。
監督として
1991年からU-20日本代表監督を務め、1994年にU-23日本代表監督に就任。
28年ぶりとなるオリンピック出場をの切符をつかむことに貢献した監督。
この本戦出場をかけたブラジルの試合。
圧倒的に有利いやむしろブラジルが負けるはずがないと言われた試合で大番狂わせをし、
ブラジル戦で勝利を掴んだ試合。
マイアミの奇跡と呼ばれていますね。この立役者が西野朗氏です。
Jリーグでは柏レイソル→ガンバ大阪→ヴィッセル神戸→名古屋グランパス
ガンバ大阪時代はAFCチャンピオンズリーグを制し、AFCからアジア最優秀監督に。
『FIFAクラブワールドカップ2008』で準々決勝のアデレード・ユナイテッドFC戦で日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めての勝利を挙げています。
またこの時、天皇杯優勝を達成しており国内3大タイトルの全てを制覇しています。
また監督としての通算勝利数が270勝は歴代1位というのです。
監督を退いて技術委員長に
技術委員長とはどんな役割があるのでしょうか?
技術委員長というのが2人いるそうです。
1人が強化担当で1人が育成担当になっているらしい。
日本のサッカーを強化する責任者でで強化と育成に分かれていて、
代表監督やコーチングスタッフの選出、強化計画の作成、代表選手選考なども監督とともに決めているそう。
家族はいる!?
日立製作所時代に、西野朗氏は美佐子夫人と結婚しています。
さらに子供が二人いらっしゃるそうです。
噂では美佐子夫人はかなりの美人さんだとという情報。
長女→「さやか」
長男→「卓朗」
特にサッカーとは関係がないお仕事をされている可能性が高くすでに30代という情報もあるので、
西野朗氏には孫がいる可能性もあるでしょう。
おじいちゃんが日本代表監督なんてめちゃくちゃ自慢できますね。
なんとあの久米宏さんが親戚にあたるそうです。