おはようございます!
PZRです(^ ^)
24時間テレビで嵐の相葉雅紀さんのドラマ主演が決定しましたね!
ドラマのタイトルは『絆のペダル』です。
このドラマは伝説的なプロロードレーサー宮澤崇史さんの半生を元に描かれたドラマです。
宮澤崇史の伝説とは一体なんなのか?
また奥様とはどんな人物なのか?
宮澤崇史 プロフィール
宮澤崇史 PROFILE
名前:宮澤崇史(みやざわたかし)
生年月日:1978年2月27日
年齢:41歳
出身:長野県長野市
身長:164cm
体重:61kg
生年月日:1978年2月27日
年齢:41歳
出身:長野県長野市
身長:164cm
体重:61kg
ロードレースというと200km以上もの距離を時速50km/hで走行する過酷な競技で有名です。
そんな過酷な競技で第一線で活躍されていた時代に、病気で倒れた母親のため肝臓を提供したのでした。
ロードレーサーに復帰するもチームから戦力外通告を受け、どん底に。
しかし、母親のため不死鳥のように舞い戻り活躍した宮澤崇史さんなのでした。
そんな過酷な競技で第一線で活躍されていた時代に、病気で倒れた母親のため肝臓を提供したのでした。
ロードレーサーに復帰するもチームから戦力外通告を受け、どん底に。
しかし、母親のため不死鳥のように舞い戻り活躍した宮澤崇史さんなのでした。
宮澤崇史の感動秘話
宮澤崇史さんが6歳の時に病気で父親の幸弘さんが亡くなりました。
母親の純子さんは女手一つで宮澤崇史さんと姉の妙子さんを育てます。
当時は事務員として働いていており、1人の給料では生活が苦しかったそうです。
服はいつも従兄弟のお下がりを着ていたようです。
母親の純子さんは女手一つで宮澤崇史さんと姉の妙子さんを育てます。
当時は事務員として働いていており、1人の給料では生活が苦しかったそうです。
服はいつも従兄弟のお下がりを着ていたようです。
しかし、当時の宮澤崇史さんはそんな純子さんの苦労も知らず、
中学生の時に見た『ツール・ド・フランス』に魅了され自転車の競技者になるという夢を持ちます。
早速、純子さんに自転車をおねだりしますが、そんな余裕などはありませんでした。
それでも息子の夢を叶えてやりたいと
純子さんは同僚に頭を下げて借りたマウンテンバイクを宮澤崇史さんに渡します。
それから毎日のように宮澤崇史さんはマウンテンバイクに乗り続け、
初めて出場した自転車競技では290人中27位という好成績を残したのです。
純子さんは同僚に頭を下げて借りたマウンテンバイクを宮澤崇史さんに渡します。
それから毎日のように宮澤崇史さんはマウンテンバイクに乗り続け、
初めて出場した自転車競技では290人中27位という好成績を残したのです。
それからというもの各地での大会に参加しますが、
遠征費や大会参加費、消耗品の購入費などで家計は苦しくなる一方でした。
遠征費や大会参加費、消耗品の購入費などで家計は苦しくなる一方でした。
それでも純子さんは息子のためさらに仕事を頑張り、自転車も買い与えたのです。
何故そこまで頑張ったのか?
実は息子との会話が増えコミュニケーションが取れることが嬉しかったんだそうです。
そんな母親のサポートがあって、
宮澤崇史さんは長野工業高校時代の17歳の時に世界選手権ジュニア部門で22位となる活躍をみせました。
18歳になるとW杯チューリッヒ選手権15位となり、20歳の時に日本代表に選出されたのです。
宮澤崇史さんは長野工業高校時代の17歳の時に世界選手権ジュニア部門で22位となる活躍をみせました。
18歳になるとW杯チューリッヒ選手権15位となり、20歳の時に日本代表に選出されたのです。
全日本選手権では4位となり、もう少しで日本で1番になるという矢先…
純子さんが倒れてしまいます。
病名は『原発性硬化性胆管炎』
肝臓に関わる病気で肝硬変などを発症する難病だそうです。
純子さんが倒れてしまいます。
病名は『原発性硬化性胆管炎』
肝臓に関わる病気で肝硬変などを発症する難病だそうです。
生体肝移植をしない場合は、余命が1年〜2年と宣告されてしまったのです。
手術は健康な人から肝臓の一部を取り出し臓器を受け取る患者様(レシピエント)に移植するもので、この手術を生体部分肝移植といいます。この移植手術の特異な点は、脳死患者からの臓器提供ではなく、健康な人からの臓器提供であることです。
肝臓の一部を移植する難しい手術で、
ドナーは近親者のみ許されていました。
しかし、姉の妙子さんではリスクがあり難しかったそう。
宮澤崇史さんがもし移植するとなると自転車競技復帰は難しいだろうと言われていました。
ドナーは近親者のみ許されていました。
しかし、姉の妙子さんではリスクがあり難しかったそう。
宮澤崇史さんがもし移植するとなると自転車競技復帰は難しいだろうと言われていました。
宮澤崇史さんは迷いがありませんでした。
純子さん無くして、いまの自分は存在しないし自転車競技を続ける意味がないと考えていたからです。
しかし、純子さんは生体肝移植を断固拒否。
自分の体のことよりも息子の体の心配や自転車競技者としての今後が心配で仕方なかったのです。
自分の体のことよりも息子の体の心配や自転車競技者としての今後が心配で仕方なかったのです。
宮澤崇史さんの決意は固く純子さんを説得。
手術を行い宮澤崇史さんの肝臓は1/3が純子さんに無事に移植されました。
手術を行い宮澤崇史さんの肝臓は1/3が純子さんに無事に移植されました。
術後、1ヶ月ほどでリハビリを開始しますが、
歩くことも困難なほど筋力は失われていたのです。
それでも2ヶ月後には100kmの距離を走行できるようになりますが、
当時所属していたブリヂストンアンカーから戦力外通告を受けます。
当時所属していたブリヂストンアンカーから戦力外通告を受けます。
ここから宮澤崇史さんは大逆転劇を起こすのでした…
単身フランスに渡りアマチュアチームに所属し毎日3時間以上自転車にまたがりました。
4年後にはプロチームに所属し、
2008年の北京五輪では日本代表選手に選出されています。
4年後にはプロチームに所属し、
2008年の北京五輪では日本代表選手に選出されています。
全盛期時代に、全日本選手権4位と涙をのみました。
雪辱を果たすために挑んだ32歳(術後9年)。
なんと優勝してしまうのです。
手術でプロ復帰は難しいと言われたにも関わらず、
日本一に登り詰めた宮澤崇史さんだったのでした。
雪辱を果たすために挑んだ32歳(術後9年)。
なんと優勝してしまうのです。
手術でプロ復帰は難しいと言われたにも関わらず、
日本一に登り詰めた宮澤崇史さんだったのでした。
その後は、ヨーロッパツアーでステージ優勝されるなど世界でも有名な選手となり
36歳の時にさいたまで行われた『ツール・ド・フランス』を最後に勇退されました。
現在は、後進の育成のためリオモ・ベルマーレ レーシングチーム監督として活躍中です。
36歳の時にさいたまで行われた『ツール・ド・フランス』を最後に勇退されました。
現在は、後進の育成のためリオモ・ベルマーレ レーシングチーム監督として活躍中です。
※2018年11月のインスタでは最近また純子さんが入院されていることを報告されていました。
宮澤崇史の嫁は花菜子さん。離婚の噂も…
2011年11月に結婚された宮澤崇史さん。
奥様の名前は花菜子(かなこ)さんでした。
アスリートフードマイスターの資格を持ち、
料理ブロガーとしても活躍されていました。
ブログ名は『私の小さなレストラン』で2016年12月5日を最後に更新がストップしています。
また宮澤崇史さんのインスタにも2016年を最後に姿を見せていないことから、
「離婚」疑惑が浮上しています。
さいごに
宮澤崇史さんのインスタには元サッカー・イングランド代表のデイヴィッド・ベッカム氏の姿が。
どういった関係なのかまではわかりませんでしたが、
裕福な生活をされているということはわかりました。