1970年代後半〜1980年代前半に大ブレイクしたロックバンド『ゴダイゴ』。
『ゴダイゴ』といえばビューティフル・ネームや銀河鉄道999、ガンダーラ、モンキーマジックなど、
令和になった今でも知らない人はいないと言っても良いほどの素晴らしい音楽を世に送り出したバンドです。
しかし、今回は大変な残念なニュースが報じられました。
ゴダイゴではギターとして活躍された浅野孝已さんが亡くなられたということです。
2020年5月12日午前10時に自宅で心肺停止の状態で発見されたということです。
新型コロナウィルスの影響で、
ライブの延期を余儀なくされていたことをFacebookで発表したばかりでした。
また心肺停止とのことですが詳しい原因については公表されておりません。
またコロナウイルスとの関係は今のところ報じられていません。
浅野孝已 プロフィール
浅野孝已 PROFILE
生年月日:1951年6月1日
出身:東京都豊島区
【出身中学校】聖橋中学校
【出身高校】聖橋高校??
ギターを始めたのは小学校5年生(11歳)の頃です。
正月にもらうお年玉で古道具屋のクラシック・ギターを買って遊び始めたのがきっかけ。
当時はビートルズが流行しており、鏡を見ながら演奏しビートルズに成り切っていたんだそうです。
中学生になるとギター教室に通い、1日約6時間練習し1年コースを半年でマスターされています。
中学生になってから出会った1学年上の萩原健一さん。
この出会いが転機となります。
ショーケンこと萩原健一さんは当時「ザ・テンプターズ」というバンドでヴォーカルとして活動をされていました。
「ザ・テンプターズ」は「ザ・スパイダース」の弟分として活動しており、
「ザ・テンプターズ」が使わなくなった楽器を使って結成したのが「ジュニア・テンプターズ」。
この「ジュニア・テンプターズ」のメンバーの1人が浅野孝已さんなのです。
当時中学校2年生でしたがセミプロとして活動されていたのです。
「ジュニア・テンプターズ」は1人が脱退したのをきっかけに解散。
その後、結成したのが「ジュニア・モップス」でした。
高校を中退し16歳でプロのギタリストとして活動を始め、
1975年にはミッキー吉野とスティーブ・フォックスが在籍していた、
バンド「ミッキー吉野グループ」のアルバム録音に参加したことをきっかけに、
浅野孝已さんが合流し「ゴダイゴ」を結成したのでした。
冒頭にも書きましたがビューティフル・ネームや銀河鉄道999、ガンダーラ、モンキーマジックなど数々の作品で大ブレイクしましたが、
1985年に解散、2006年から再結成をし活動されていました。
また後進の育成の為に1986年には、「東京コミュニケーションアート専門学校」の副校長に就任していました。
浅野孝已さんの実弟もゴダイゴだった!
弟の浅野良治(りょうじ)さんも一時期ゴダイゴのドラマーでした。
かまやつひろしさんののバックとして知られるオレンジで1stシングル「翼のない天使」で1974年にデビュー。
ゴダイゴ(ミッキー吉野グループ)のドラムが抜けたため、
メンバーとして加入します。
しかし浅野良治さんがゴダイゴとして活動した期間はわずか数ヶ月で「想い出を君に託そう」と「僕のサラダガール」の2曲のみ参加だったようです。
現在は音楽業界からは引退されているという情報でした。
天才ギタリスト浅野孝已さんのギター演奏はYouTubeで配信されていました。
浅野孝已さんは結婚し子供がいた
浅野孝已さんの奥様とは一体どんな人物なのだろうか?
調べて見ましたが一切情報がありませんでした。
結婚されているのかすらさえ特定できませんでしたが、
Facebookでは孫がいることを示唆されていました。
浅野孝已さんはまだ68歳。
孫の成長が楽しみだったに違いありません。
心より御冥福をお祈りいたします。