桶田敬太郎(おけだけいたろう)さんが、
昨年2019年11月23日に亡くなられていた事が報じられています。
48歳という若さでした。
心より御冥福をお祈りいたします。
さて桶田敬太郎さんとは一体どんな人物だったのかまとめてみました。
桶田敬太郎さん プロフィール
桶田敬太郎 PROFILE
生年月日:1971年10月4日
出身:三重県亀山市(生まれは兵庫県尼崎市)
血液型:A型
身長:177cm
職業:芸能プロダクション取締役
桶田敬太郎さんの経歴とは
桶田敬太郎さんは元お笑い芸人です。
ホリプロ所属のお笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂」として活躍されていました。
出身中学の関町立関中学校の同級生で相方の村田渚さんと出会い、
三重県高田高等学校に在学中にコンビを結成しています。
二人でホリプロのオーディションに参加し東京都三重を行き来していました。
努力が実り「フォークダンスDE成子坂」は
1991年にTVデビューを果たしています。
桶田敬太郎さんは当時19歳でした。
第14回 高田文夫杯争奪 OWARAIゴールドラッシュ優勝や『GAHAHAキング』で第2代チャンピオンになるなど数々の賞を受賞。
若手芸人としては異例の速さでの大出世で、知名度を上げて行きます。
二人が全国区で知れ渡るきっかけとなった番組は…
当時、大人気となっていたフジテレビのバラエティ番組『タモリのボキャブラ天国』でしょう。
芸人仲間からは天才と言われた二人でしたが、1999年突然の解散を発表します。
桶田敬太郎さんはお笑いと並行してバンド活動もされており、バンド活動に専念することに。
バンドボーカルTaroとして活動していましたバンド名は「The 3cm〜」です。
歌唱力に定評があり、鋭い歌詞とメロディアスな楽曲が受け多くのファンを魅了しました。
2004年ごろからは裏方に回り、
放送作家や構成作家、音楽プロデューサーとして活動を始めていました。
しかし2006年に悲報が報じられます。
元相方の村田渚さんが2006年にくも膜下出血のため35歳の若さで亡くなられたのです。
村田渚さんについてアメブロで以下のようにコメントされていました。
これのここまで、ホント渚の思い…
あいつがこの状況下どんなことを考えていて、
コンビのこと仕事のことオレのこと…どう思ってるのか?これまでの流れと、この微妙に深刻さが漂っている不協和音、
腫れ物的な状況を受けて、何を考えてるのか?どう想ってるのか?
…全くわからなかった。それは、渚自身から口にすることも一切ないし、
ハッキリした行動をとることも無かった。ゆえ、渚の思い…気持ち…意思…というのは
この時点まででは、全くハッキリ見えるものはなく、
ただただ二人の間に起こる断片からの俺自身の想像…。今回、ストーリーの中で起こる、
最後の最後にして唐突に伝えられたその展開…
それが遅かったのか?オレの決断が早かったのか?は、
あえて、そこをキーポイントとしては考えたくない。ただ、いま冷静な心情で、客観的、俯瞰的に思うと
オレにとって渚のその言葉は
本編中にナカムラが言っていた通りのものだったと思う。フォークダンスDE成子坂…結成から解散に至った全経緯とその真相。
桶田敬太郎さんはその後、
ピン芸人としての活動を再開しさらには起業します。
芸能プロダクションMRの代表取締役として後進育成のためネタ提供や若手のプロデュースなどを行っています。
芸能プロダクションMRは公式YouTubeを開設していましたので、
リンクを貼っておきます。