白衣姿・聴診器を身につけ舞台に立った・・・
ケーシー高峰こと本名・門脇貞男さんが天国へ旅立たれました。
85歳という年齢でした。
死因は『肺気腫』です。
ケーシー高峰さんは医療漫談の先駆者で、
『セニョリータ』や『グラッチェ』などラテン単語をよく用いることで知られています。
性について(下ネタ)のネタが持ち味でビートたけしさんなどの
大御所お笑い芸人も太鼓判の人物なのです。
また、俳優としても大河ドラマや朝の連続テレビ小説に出演していました。
ケーシー高峰 プロフィール
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生年月日:1934年2月25日
享年:85歳
出身:山形県最上郡最上町
ケーシー高峰さん出演のCM
ケーシー高峰は医師免許所持?
山形県立新庄北高等学校(偏差値59)卒業後、
日本大学医学部に進学し、医師免許取得を目指しました。
ケーシー高峰さんの母親のシズエさんが内科と小児科の医師です。
読売新聞医療功労賞を受賞された方で、99歳で生涯を終えております。
実は江戸時代から代々続く医師家系。
ケーシー高峰さんは末っ子で兄と姉がいますが、
もちろん医師免許を保持されていますし甥、姪にも医者が多いとのこと。
ケーシー高峰さんが医学部に進学するのはもはや必然だったそうです。
しかし医学部で勉強されたのはわずか1年。
大学2年目は芸術学部演劇学科に転部されました。
実は転部のことを両親には告げず、
自身の判断でしたことから勘当されてしまったと告白しています。
それから10年は実家へ帰ることができなかった。
転部の理由は、風貌を理由にいじめを受けたとネタ?で使われていましたが、
幼い頃からラジオで聞いていた漫談家・徳川夢声さんに憧れ、
芸能界に入りたいという夢があったことが理由ではないでしょうか。
ということで医師免許は取得されていません。
ちなみに父親は、商社マンで世界中を飛び回っていた方で、
実家にはラテンやジャズのレコードがたくさんだったそう。
東京外語大学出身で、三井物産で働いていた父親はマニラで働いていたそう。
4年に1度日本に帰国することから兄弟は4歳違いだと言います。(ネタ?)
ケーシー高峰が医療漫談を続ける理由
ケーシー高峰さんが医師になることができず挫折し未練があるから?
と思う方もいるようですが、実は違うようです。
せめてのも母親への恩返しで医療関連のネタをやっていたそうです。
ケーシー高峰が漫談を始めた経緯
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最初は漫才を始めました。
リーガル天才・秀才(漫才コンビ)に入門するが「まだ弟子が持てない」
と言われたのをきっかけに大空ヒット・三空ますみ(漫才コンビ)に弟子入りします。
最初に組んだコンビが『大空晴天・曇天』次に組んだのが『大空はるか・かなた』
海外の医療ドラマ『ベン・ケーシー』が芸名の由来でした。
当初はべん高峰として活動する予定でしたが、師匠から「汚いな」との一言で、
「ケーシー」の方を選択。
高峰は、リーガル天才・秀才が高峰一門の漫才コンビですので、そこから来ているかと思われます。
リーガル一家はみんな高峰を名乗っていますから、ほぼ間違い無いでしょう。
最後に。
実は母親は、息子を心配して度々上京して舞台を観に来ていたと言います。
母親思いでファンから愛されたケーシー高峰さんでした。
ご冥福をお祈りいたします。