山田直稔さんが2019年3月9日になくなっていたことが明らかになりました。

ご冥福をお祈りいたします。

山田直稔さんは『オリンピックおじさん』のニックネームで、

親しまれるほどのオリンピックが大好きな方。

最初に行った1964年の東京オリンピックからリオデジャネイロ五輪まで、

夏季・冬季オリンピックの合計15大会を観戦しています。

また派手な衣装で応援していることから海外でも有名人で、

インターナショナル・チアリーダーと呼ばれています。

日の丸入りのオリンピックのロゴ入り羽織ハカマにシルクハット。

金色の日の丸扇子を手に持つ姿は、

みなさん一度は見たことがあるのではないでしょうか?

 

 

東京オリンピックの際は普通に一般の観戦者であったが、

メキシコオリンピックから派手な衣装にチェンジしています。

政治的な影響で日本が不参加となったモスクワオリンピックにも、

『10万本の旗』を用意して、「いざ!モスクワ」と意気込んでいたのですが、

単身で応援することとなっていました。

 

山田直稔 プロフィール

生年月日:1926年4月16日

享年:92歳

出身:富山県富山県東礪波郡井波町

山田直稔の経歴と戦時中

山田直稔さんは、富山県立富山工業高等学校出身で、

高校卒業後に日本大学工学部建築学科へ進学。

実家は機械屋根屋で建築・木材販売などをされていたようです。

学生時代は、剣道、グライダー、機械体操、銃剣術が得意でした。

また、第二次世界大戦中は19歳の時、陸軍へ入隊し。

入隊日に得意の銃剣術で上官に手合わせをお願いしたところ、

見事に勝利し教官になってしまうのです。

これがきっかけで戦地に出向くことはなかったのでした。

しかし大学2年生の時に生死をさまようことに。

急性肺炎を患い、結核へ移行してしまったのでした。

その当時の『結核』は死の病として恐れられており、

長い間苦しめられます。

大学3年生になっても一向に快向かわなかったため、

どうせ死ぬなら最後に温泉旅行でも行くか!

温泉巡り旅をするのです。

 

山田直稔の運命の出会い

北海道の登別温泉で出会ったある夫婦との出会いが人生を変えます。

東京都内でワイヤーロープの会社を経営していたこのご夫婦。

そのご夫婦に気に入られ、

大学卒業後にはワイヤーロープ関連の会社に勤める約束をします。

その後、体力と気力も徐々に回復したのです。

そしてこの夫婦の娘と結婚した山田直稔さんは

34歳(1960年)の時に浪速商事株式会社を設立されます。

会社のURLはこちらです→http://www.naniwa1001.co.jp/index.html

 

ホテル経営(京橋にあるファーストイン京橋もその一つ)やら不動産などで

一代で浪商グループを築き、亡くなる最後まで代表取締役会長として現役を貫かれました。

オリンピックへの旅費は全て自分のポケットマネーであり、

英語など海外の言語を話せるのかというと一切話せないというから驚きですね。

『国際オリンピック応援団長 International Cheer Leader』という肩書を持つ

山田直稔さんの死を世界中が悲しんでいます。

死因は心不全でした・・・。

2020年東京五輪の応援ができなくなったことをご本人が

一番悔しがっているのではないでしょうか。

 

 

 

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