ジェンキンスさんが亡くなりました。

本名はCharles Robert Jenkins(チャールズ・ロバート・ジェンキンス)

日本人拉致被害者の曽我ひとみさんの夫です。

死因は12日現在はっきりとはわかっていませんが77歳で以前から体調が悪い日があるなどしていたので病気を患っていたのでしょう。

 

Ads By  Google

 

チャールズ・ロバート・ジェンキンスの人生を振り返る

1940年2月18日に誕生します。

アメリカノースカロライナ州出身のジェンキンスさんは、15歳の時に陸軍に所属します。

その後、朝鮮半島軍事境界線付近で在韓米軍として働いていました。

当時ベトナム戦争がありそちらに派遣されるのでは?

という噂が耳に入りました。

ベトナム戦争といえばたくさんの死傷者が出ましたが、それを知るジェンキンスさんは重圧からかアルコール依存症になります。

その後、1965年に北朝鮮に投降します。

拉致ではなかったのです。

政治亡命というかたちになります。

この頃アメリカはジェンキンスさんの消息不明と公表しておりまさか北朝鮮にいるとは思ってもいなかったでしょう。

アメリカに帰国できると考えていたジェンキンスさんでしたが、その考えもすぐになくなります。

帰れないことを実感したジェンキンスさんは深く後悔したということです。

 

Ads By  Google

 

朝鮮語を覚えさせられ、北朝鮮で英語教師として働くことに。

曽我ひとみさんと出会ったのは1980年で政府の紹介だったとか。

出会ってわずか38日後に二人は結婚し二人の娘を授かります。

二人がのちに語った北朝鮮での生活で困ったことはズバリ!

「水」「電気」

生活に欠かせないものですがいつ電気が切れるか分からない、水が出ないという状態がずっと続いていたんだそうです。

冬になると−30℃の極寒の地になりますので電気がないと困りますね・・・。

その後、1982年に北朝鮮が作成した映画に出演したことをきっかけにジェンキンスさんが北朝鮮にいることをアメリカが知ります。

敵国に逃げたことで逃亡者として扱われます。

アメリカにとっては犯罪者です。

2002年に行われた日朝首脳会談がきっかけとなり妻の曽我ひとみさんが日本に帰国します。

しかし、ジェンキンスさんはこの頃日本に行くか悩んでしました。

なぜなら北朝鮮の監視に加え、アメリカに拘束されるのでは?という不安があったからです。

日本政府がアメリカ政府に交渉を行い、穏便に済ませて欲しいとお願いします。

それをきっかけに日本に娘二人を連れて2004年に来日します。

座間にある米軍キャンプを訪れ謝罪し軍法会議にかけられますが。

不名誉除隊と禁固30日を命じられ、服役。

5日早く釈放されその後は妻の実家である新潟県佐渡市に住むことになります。

2005年にアメリカに住む母親に会うため娘二人を連れて約40年ぶりの帰国を果たします。

すぐに帰れると思っていたのに39年・・・

長かったでしょうね。

その後出版した「告白」では」北朝鮮での生活についてを記しています。

娘は結婚した?

1983年に誕生した長女の曽我美花さんは現在保育士として働いているようです。

1986年に誕生した次女の曽我ブリンダさんは酒造会社で働いているようです。

次女の曽我ブリンダさんはすでに結婚していました。

子供の有無はわかりませんでしたが、

酒造会社で働いているということなので酒造会社の御曹司と結婚したかも?しれませんね。

いずれも佐渡市内に住んでいるということでした。

現在は?

2008年に日本での永住権が与えられ新潟県佐渡市で暮らしていますが、

しっかりと働いていました!!

佐渡市といえば観光業が盛んですね。

佐渡歴史伝説館で最近まで働いていたのです。

偶数日のみ出勤ということでしたがジェンキンスさんが出社する日は普段よりも多くのお客さんが訪れたと言います。

人気者でみんなから愛されたジェンキンスさんも2017年12月亡くなります。

 

Ads By  Google

 

 

死因は?

死因についてはまだはっきりとわかっていませんのでわかり次第アップさせていただきます。

2017/12/12 am6:35 追記

佐渡市内で倒れ病院に運ばれその後、死亡したとのこと

追記終わり

ジェンキンスさんの貴重な証言で北朝鮮で何が行われていたのかが世界に知れ渡ることとなりました。

ジェンキンスさんは大変苦労されたことでしょう。

天国ではゆっくりと休んでいただきたいです。

ご冥福をお祈りいたします。

 

最後に

北朝鮮から漂流船が相次いでいますがまたいつ日本で拉致被害があるかわかりません。

一刻も早く拉致事件が解決することを切に願います。